【5分後にエモい古典文学】人が人を思う気持ちは今も昔も変わらない。

今日も30度超えの猛暑日。

こんな日は引きこもって読書に限ります

そんなわけで今回はこちらの本


『超新訳 5分後にエモい古典文学』を読んだのでその感想をまとめてみました

よければお付き合いください

目次

学生時代、嫌いだった古典

僕は学生時代、古典が好きではありませんでした

まずそもそも意味がわからない

文法とか活用とか

現代文とは何から何まで違う

漢文との違いもよく分からなかった笑

僕にとって古典はその程度の認識なので、あんまり楽しめないかなぁと思った

けど読んでみたら、古典の原文はほんのちょっとで

残りの部分は『超新訳』が大部分だった

古典文学を現代風の恋愛小説にすると

タイトルにもなってる『超新訳』は簡単に言うと

「昔の古典を現代風の恋愛小説っぽくするとこんな感じだろう」

と言うのを作者が予想して翻訳したもの

なので、作者の方の創作が結構入ってて

古典に忠実な部分もあるけど、想像全開で書いてる部分もあって
古典が好きな人もそうじゃない人も新鮮な気持ちで楽しめた

本の中に出てくる古典作品は

・万葉集

・徒然草

・源氏物語

みたいな有名な作品もあれば聞いたこともないようなやつもあった

個人的に面白いなぁと思ったのは、源氏物語の超新訳

光源氏や他の登場人物が現代の高校生になって、ひたすら自分の好みの女性像について討論する話

源氏物語って読んだことないけど、ホントにそんな要素あるのだろうか笑

ちょっと原文の内容が気になってしまった

人の死よりも悲しいこと

あとは徒然草の中での一節

「人が死んでしまうことは悲しい。けれどそれ以上に悲しいことはそれを誰もが忘れてしまうことだ。」

っていうものがあった

人の死による悲しみって、死の直後がピークでそれ以降はだんだんと落ち着いていく

良い意味でも、悪い意味でもその死に慣れて適応していく

そうしていつかはその人が死んだことを覚えている人はこの世にいなくなってしまう

それこそが1番悲しいことだ

これってなんだか仏教とかの教えにありそうな話だなって思った

死んだ後も誰かが忘れずにいてくれたら、それは終わりじゃない

そんな風に思えたら良いし、自分も誰かに覚えていてもらえたら良いなって

そんなことを思った

時代が変わっても人が人を思う気持ちは変わらない

古典って昔の人が自分の思ったことを文章にして残したもので難しいって感じがち

だけど時代が違っても、そこで生きていたのは自分たちと同じ人間

多少は考え方や価値観が違ったとしても、人が人を思う気持ちは変わらない

それは恋人や家族や大切な人を思う気持ち

そういう思いや感性は昔の人も同じなんだって感じた

まああくまでこの本は『超新訳』だから

どこまで原文の内容が練り込まれているのかは分からないけど笑

でも人の気持ちってそんなに簡単に変わるものじゃない気がする

何百年経っても人間の脳ってそんなに変化してないっていうし

ちょっとだけ古典に親近感が湧いた

そんな良き読書体験でした


それではまた

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